人は、遠い昔に
土に触れて器をつくり
石に触れて矢をつくり
藤に触れて布をつくった
こんにちは、PARANOMADデザイナーの原田美帆です。人がものをかたち作った最初の瞬間、どんな驚きや喜びがあったのでしょう。藤の物語、終章の始まりです。
丹後の美と自然をまとう- 藤布「遊絲舎」序章
丹後の美と自然をまとう- 藤布「遊絲舎」part2
丹後の美と自然をまとう- 藤布「遊絲舎」part3
丹後の美と自然をまとう- 藤布「遊絲舎」part4
フジウミの次は「撚りかけ」と呼ばれる工程です。タライに水を張って、繊維の束を浸すと一瞬で柔らかく変化しました。「水を通すほどにしなやかになるから、使い込まれた藤布は皺にならずさらに強くなります。撚りをかけるときに水を使うのは八丁撚糸と同じ考え方。濡らすと撚りがかけやすくなるし、均一に撚りがかけられる」。糸車の先端にある錘(つむ)にカットしたストローを通して、繊維の端を少し巻きつける。右手で糸車を時計回しに回転させながら、左手を斜め後ろの方向にすべらせていく。錘の先端から外れた瞬間に1回転の撚りがかかり、その連続作業で撚り糸に変身していきます。
糸車を少し逆に回すと糸は錘の先端から外れる。左腕で糸を張ったまま糸車の方に寄せ、頭上にかざし糸車を時計回りに回転させると、撚りのかかった糸が引き込まれるようにストローの管に巻きついていく。「糸車を使うと、手の平で藤糸がやさしく包み込まれます。ケバがなだめられながら撚り込まるので、きれいな糸に仕上がります」。遊絲舎代表 小石原将夫さんが教えてくれた、糸車の撚糸の秘密。ここから次の作業に備え、アタマ(藤蔓の「根っこの方」を指す)を表面に出すために大きな糸枠に移し替え乾燥させます。その時わずかに出たケバを鋏で切り落として、ようやく糸が完成しました。
さあ、織物になる瞬間を見届けにいきましょう。ここまで手作業で拵えた藤の糸を、絹糸と合わせて力織機で織り上げます。ガチャン・ガチャン・ガチャン。工場の外まで聞こえる機音(はたおと)が不意に止まる。職人が手作業でシャットルを経糸の間に通して、織機のスタートハンドルをかける。ガチャン・ガチャン。絹糸が数回走ると、再び自動的に止まる。職人の手には藤の糸が巻かれたシャットル。筬が打ち込まれて、一越ずつ織物ができていく。自動で織り進む織機に停止プログラムを組み、職人が付きっきりで世話をしていました。藤の糸にかけられた、最後の大事な一手間。「手機で織れば、手織りと言えます。これは機械織りだけど、ずっと立ったまま織機に張り付かなければならないので体にも本当にきつくて。効率も良くないけれど、この方法でしか表現できないのです」。
遊絲舎の帯が伝えるもの。それは藤の美しさ。藤のもつ色と艶が、絹糸に引き立てられて一層際立って見える。その様は精緻なカットが施された宝石を思わせます。掘り出した原石にふさわしい形を見出すように、現代の織物技術が古の糸に秘められた美しさを解放していました。
ただそれだけで美しい藤の糸。その中に、将夫さんと五代目充保さんが「極上の糸」と呼ぶものがあります。「フジウミをしているときに、質のいい繊維があるとすぐ分かります。少し生成り色でコシがある。最近は少なくなったけれど、見つけたら取り置いておきます」。そうして20年以上をかけ、極上の糸だけを集めて織り上げられた能衣装「水衣」を見せてもらいました。能の謳う無常と普遍が織り込まれたような深い陰影。嬉しい時も、悲しい時も、楽しい時も、辛い時も。人は糸を績んできました。布を織り、衣服を縫い、生活道具を作るために。
能衣装「水衣」
遊絲舎の帯が伝えるもの。それは生命(いのち)を守り、繋いでいく精神を今日に伝える営みという美しさ。藤から織物を生み出した人たちの膨大な時間と惜しみない手間。日々の営みはやがて文化となり、心を潤す存在になって帰ってくる。京都・丹後に伝わる藤布を、現代へ届ける小石原将夫さん、充保さん。帯を介して、伝えたいことがあります。
遊絲舎の皆さんとキャメル
原田 美帆
与謝野町在住
インテリアコーディネーター・現代アートスタジオスタッフとして活躍し、2015年からは丹後・与謝野町に移住と共にデザインスタジオ「PARANOMAD(パラノマド)」を設立。織物は彫刻という独自の視点でカーテンを始めとしたテキスタイルを制作。また、マニアックな所まで的確にレポートするライターとしても活躍中。そんな彼女の美と食の記事は今後とても楽しみであります。
PARANOMAD