機音に誘われて歩けば
突然現れるブルーの壁
織物工房に描かれた巨大壁画は
どこから生まれたのでしょうか
kuska fabricがある与謝野町岩屋地域はのどかな田園風景、穏やかに流れる野田川、雄大な大江山連邦が景観を織りなしています。漆喰の美しい古民家も多く、織物の町らしくギザギザ屋根の工場も見つけられるでしょう。2023年、ここに鮮やかなブルーの巨大壁画が生まれます。
kuska fabricディレクター楠泰彦は、かねてから衰退する地場産業に新たな魅力を創り出したいと考え、その方法を模索していました。「大量生産・大量消費されるものづくりではなく、工程や想い、職人の姿勢こそ『商品の価値』になる。機能性や見た目のデザインだけではなく、内面から生み出す想い=アート的な表現こそ大切ではないか*」。2022年11月、出張先のロンドンから足を伸ばし、今最も注目されるショーディッチ地区へアーティストの活動を体感しに行きます。地下鉄を降りた先には色鮮やかな壁画が広がっていました。作風も色合いもさまざま、有名無名も入り混じり、アーティストの思考や情熱が渦巻く一体を歩き、壁画はブランドの理念を表現し得ると再確認に至ります。
時を前後して、丹後にひとりの青年が帰ってきました。久美浜出身の210(ツーテン)さん、kuska fabricの巨大壁画をデザインから制作まで手掛けるアーティストです。自身の活動や丹後の情報をTwitterで発信していたのを楠が発見し、コンタクトをしたのをきっかけに壁画コラボレーションが生まれました。
210さんは小学校の頃から得意だったイラストで食べていきたいと、高校卒業後に大阪のイラストレーション専門学校へ進学。デザイン事務所に就職します。「でも10ヶ月でクビになりました。今振り返ると、仕事を甘く考えていた。もうアートもデザインも嫌になって辞めようと思っていました」。次に職についたのは北新地のバーでした。ここでの出会いが、210さんをクリエイティブの世界へ引き戻していきます。「バーはたくさんの経営者と出会えるハブのような場所で、可愛がってもらい楽しかった。ロゴや周年のチラシデザインを頼まれ、再びデザインをしたいと思ったのです」。バー勤務と副業のデザインを並行して4年半を過ごし、このまま独学だけでは食べていけないと思った210さんは、学生時代に出会ったデザイン事務所を訪ねます。「一から勉強させて下さい」。心を決めたのは、26歳の時でした。バーでもデザイン事務所でも周囲の理解と関係性に恵まれ、自分自身の特徴を出したクリエイティブを伸ばしていきます。それは応援したいと思わせる、彼のまっすぐな人柄によるのでしょう。2年の修行期間を経て「210artworks」として独立しました。Uターンのきっかけはコロナ禍でした。子育て中の父親でもある210さんは、自然豊かな丹後へ家族で戻ってきたのです。
kuska fabric壁画制作は5作目に当たります。デザイン事務所時代に依頼を受けて描き始め、その魅力に目覚めていきました。大きく描くのが楽しく、通行人や職人さんとの会話も楽しい、愛おしい時間だと言います。代表作となった2作目は沖縄にあるハンバーガーショップの壁画でした。大きな余白を残しつつポップなモチーフを緻密に構成したアートワークは、ランドマークとして多くの人を惹きつけ続けています。知らない人が写真を撮り、#(ハッシュタグ)をつけSNSに投稿しているのを見て「そうか、自分の絵で人を喜ばせたかったのか。何のために描いているか、理由がやっと分かった瞬間でした」と、アートから始まる喜びの共有を見出しました。
壁画が伝えるもの。それは伝統を想う心、喜びを分かち合う心。世界各地で描かれてきた壁画には、その土地や時代のアイデンティティーを民衆に伝える役割もあります。丹後で紡がれてきた伝統に、新しいクリエイティブを掛け合わせて地場産業が秘める可能性を訪れる人へ届けたい。大きな挑戦が始まります。
*kuska fabric ブログより一部引用、編集
原田 美帆 与謝野町在住
インテリアコーディネーター・現代アートスタジオスタッフとして活躍し、2015年からは丹後・与謝野町に移住と共にデザインスタジオ「PARANOMAD(パラノマド)」を設立。織物は彫刻という独自の視点でカーテンを始めとしたテキスタイルを制作。また、マニアックな所まで的確にレポートするライターとしても活躍中。そんな彼女の美と食の記事は今後とても楽しみであります。PARANOMAD