庭先のカラムシを切って繊維を取り出す
糸になったカラムシにかおりさんは語りかける
「手折ってごめんね あなたの美しさを伝えるものを織るから」
こんにちは、PARANOMADデザイナーの原田美帆です。染織工房「山象舎」が丹後産地とともに歩んだ物語、part2では東かおりさんの制作風景をお届けします。パートナー堤木象さんの制作を追いかけたpart1もどうぞ本編と合わせてお読みください。
染織工房「山象舎」東かおりさん
晴れの日、とっても晴れた日、雨の日、雷の鳴った日。曇り・曇り・曇りの日々。晴れて、土から芽が顔を出して、たっぷりと雨が降り注いで、すくすくと緑の海が広がっていく。この緑を育てた自然の営みを、美しい緑色と共に絹織物に写し取る。晴れの日はマル印、雨の日は縫い絞り、曇りは無地というように天候を記号へ置き換えて表現した作品「それぞれの卯月の空」。
大阪府池田市、兵庫県姫路市に住む2人の女性と、京都府京丹後市に住むかおりさんがそれぞれの場所から1ヶ月の天候を記録し、その間に育ったヨモギを煮出した染料で染め上げられました。
「天気と風をコンセプトに、自然そのものにデザインを決めてもらいます。私はアシスタント」。天候の記録をデザインに落とし込む手法は、かおりさんの代表作の一つ。一ヶ月、数ヶ月、一年…さまざまな期間の記録に、染めと織りによる表現を組み合わせて、着尺や帯、帯揚げストール、タペストリーなど多彩な作品が生み出されています。
風の記録をもとに織り上げられた帯
「自然と関わることをライフワークにしたい」。大学を卒業する頃に抱いた想いをそのままに、丹後に移り住んで30年が経ちます。移住のきっかけはパートナー木象さんのアートプロジェクトへの参加から。まだ学生だったかおりさんは大学の休みに丹後を訪れ制作を手伝っていました。中学生の頃から美大に憧れ、美術系コースのある高校へ進学。受験対策の予備校に通い、講師として指導にあたっていた木象さんと出会います。一目見て「この人だと思った」。第一印象とともに、最初の会話も覚えていると教えてくれました。「お前、内臓悪いんか?」。グレーの色調の絵を描いていたかおりさんに、木象さんが言い放った一言。「お前なんて、初めて言われた。怖い!」。驚きながらも、心が惹かれていきます。ひょうきんな振る舞いで予備校でも大学でも目立つ存在だった木象さんに、一歩も引かない度胸のあるかおりさん。アートプロジェクト終了後も丹後に残った木象さんと遠距離恋愛をしながら、お互いに制作活動を続けていました。
籠に入っているのは乾燥させたカラムシの繊維
そうして3回生になった頃、古民家で開催されていた機織り教室に通い始めます。専攻は油画でしたが、環境問題に注目が集まり始めた時制と重なり、油絵の材料や洗浄に使う水と洗剤に疑問を持ち始めていました。布を作るという体験は新鮮な発見の連続だったと言います。だんだんと油絵は描けなくなり、卒業制作も染色による作品を完成させました。卒業後も手機教室に通い夢中になっていた頃、丹後にいた木象さんから「来て欲しい」とプロポーズの電話がかかったそう。「東京にいては出来ることが限られてくる。でもまだ教室で学びたい」。ちょっと考えさせてと受話器を置きますが、繰り返しかかってくる電話に観念していよいよ丹後へ。
工房の窓際には、染色のために集められた植物が並んでいます。ある時は薮に入り、ある時は土を掘り返して、周りの山中から2人が一つずつ集めてきた大切な材料です。「僕は夢中になって掘り続けてしまう。だけど、彼女は使わないものを埋め戻して手を合わせているんです」。自然と人の間に立ち、繋げられるような役割ができたら本望だなと思う。そう話す2人は、丹後ちりめんの可能性をも繋いでいくことになります。染織工房「山象舎」の物語は、産地との関わりを紐解くpart3へと続きます。
山象舎の色の世界
原田 美帆 与謝野町在住
インテリアコーディネーター・現代アートスタジオスタッフとして活躍し、2015年からは丹後・与謝野町に移住と共にデザインスタジオ「PARANOMAD(パラノマド)」を設立。織物は彫刻という独自の視点でカーテンを始めとしたテキスタイルを制作。また、マニアックな所まで的確にレポートするライターとしても活躍中。そんな彼女の美と食の記事は今後とても楽しみであります。
PARANOMAD