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丹後に生まれた新しい伝統 丹後織物禊の会 A new tradition born in Tango: Tango Textile Misogi

男たちは

白波が暴れる冬の海へ入る

穢れを祓い

織へ向かう心を研ぎ澄ますために

こんにちは、PARANOMADテキスタイルデザイナーの原田美帆です。丹後に強風が吹き荒れた3月20日、「禊(みそぎ)」と呼ばれる行事が行われました。2012年から始められた機屋の新しいしきたりです。一体どんなことが行われているのでしょうか?

9回目の「禊」は春分の日にあたりました。開催日は確定されておらずその年によって決めるそう。夕方になると、京丹後市にある網野神社に着物姿の機屋や呉服関係者たちが集まってきました。10数名の有志で構成された「丹後織物禊の会」のメンバーたちです。「網野神社の境内には蚕織(こおり)神社があって、毎年春に祈願祭を開いているんです」。会の代表を務める有限会社丸栄織物工場の井上肇(はじめ)さんが、禊のきっかけについて話してくれました。

網野神社の創立は10世紀以前と伝わり、「日子坐王(ひこいますのみこ)」「住吉大神(すみよしおおかみ)」「水江浦嶋子神(みずのえのうらしまこのかみ)」という三柱の神様を祀っています。大正14年に旧本殿を「蚕織神社」として祭祀し、お蚕さんへの感謝と織物業の繁栄を願う祭礼「祈願祭」が執り行われるようになりました。丹後地域で織物業が盛んになるにつれ、昭和26年からは祈願祭と合わせて「ちりめん祭り」も開催。有志の機屋が蚕織神社に反物を奉納してきました。でも、その反物はのちに機屋に戻されていたのです。

「僕たちの時代から、ほんとうに奉納してはどうだろうか」。当時の方法に疑問を抱いたメンバーが声をあげ、どのようなかたちが相応しいのか検討が始まりました。奉納する反物を誰が織るのかどうやって決めよう?神様への捧げものにふさわしい心身の清め方は?奉納したあとの反物はどうしよう?…寄り集まり、議論を重ねて「禊」を一から作り上げていったのです。


2020年の禊に参加したメンバーたち

「そろそろ本殿へ参りましょうか」。網野神社の西川宮司さんから声がかかりました。いよいよ今年の禊が幕を開けます。

開始の言葉に続いて、神様の御前で祝詞による禊が行われました。続いて参加者全員で「大祓詞(おおはらへことば)」を読み上げます。書かれている内容はもちろんのこと、音にも意味があり声に出すのが大切とのこと。

次は、「福機(ふくばた)」を決めるための「管みくじ」!ちりめんのヴェールに包まれた「管」を一人ずつ引いてゆきます。いっときの静寂に包まれて…

運命の赤い管を引き当てたのは谷勝織物工場の谷口能啓さんでした。

4月に行われる祈願祭までに、一越入魂で反物を織り上げます。奉納された反物はおみくじの袋として仕立てられ、私たちに福を分けてくれるのです。さあ、いよいよ禊はクライマックスへ。舞台を八丁浜へと移して、機屋たちは着物を脱ぎ去ります。

浜辺には結界が立ち、松明が燃えていました。これは、明るいうちにメンバーが用意したもの。ここからは、機屋たちの手作りの「禊」なのです。神社が海で禊を行うには専用の免許が必要なため「だったら僕たちでやろう!」と考えていったそう。轟々と風が吹くなか「よいしょ~!」と大きな声をあげ、櫂を漕ぐ動作を繰り返して体を温めます。「舟漕ぎ」や「鳥舟」という神道の禊のための作法で、これもメンバーのアイデア。何十回も掛け声を合わせ、覚悟を固めたら海へ向かって一直線!「祓いたまえ、清めたまえ」と唱えながら冬の日本海へと分入ります。見ている方が凍えそう!

「一年に一度、春を迎えるちいと前になァ 丹後には機屋の禊があるんだで」。いつか、「俺たちの禊」が伝統行事になる日がやってくるでしょうか。各地に伝わる祭りにも、こんな物語があるのかもしれませんね。


奉納された反物から仕立てられたおみくじ袋

原田 美帆 与謝野町在住
インテリアコーディネーター・現代アートスタジオスタッフとして活躍し、2015年からは丹後・与謝野町に移住と共にデザインスタジオ「PARANOMAD(パラノマド)」を設立。織物は彫刻という独自の視点でカーテンを始めとしたテキスタイルを制作。また、マニアックな所まで的確にレポートするライターとしても活躍中。そんな彼女の美と食の記事は今後とても楽しみであります。PARANOMAD

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名称
丹後織物禊の会
Name
tango orimono misogi
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丹後織物禊の会 tango orimono misogi
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