八丁浜の波に乗る守山さんと吉岡さん
1983年から続く網野のサーフショップ『SOLDIERBLUE SURF』。”海の京都”の老舗サーフショップとして知られ、丹後一帯のサーファーが集う憩いの場となっている。2020年6月、八丁浜海岸にほど近い場所に移転。もともと機屋だった建物をリニューアルし、グランドオープンした。同店の前オーナーであり、網野サーファー界のレジェンド、守山倫明さんより絶大な信頼を得ながら、その熱いバトンを託された新オーナー、吉岡さんとの一問一答。【前編】
Profile:吉岡隆弘さん
網野にある唯一のサーフショップ『SOLDIERBLUE SURF』のオーナー。福知山店の店長を経て、2020年6月より同店の新オーナーに。写真は看板犬のハチと(八丁浜の”ハチ”から命名)。
――サーフィンとの出合いはいつ?
高2のとき。(網野サーファー界のレジェンド)守源旅館の守山さんのところでアルバイトをはじめて、自然と気づいたらやっていた。それまでは本当の不良で。僕らの時代っていっぱいいたでしょ。短ランにボンタン履いて、タバコを吸っている、いわゆるド定番のヤンキーってやつ。でも、サーフィンを知って、ヤンキーはすぐに卒業した。
――なぜサーフィンが、ヤンキー卒業のきっかけに?
だって、ヤンキー、ダサいっしょ。サーフィン、カッコイイっしょ!
――(笑)。
ヤンキーしてても女の子にモテないから、サーフィンして女の子にモテたかったし。あとは守山さんや、その周りの大人がカッコよかったから、これならイケると思った。
――ヤンキー経験で、サーフィンに役立ったことは?
くやしいから続けるという根性。最初はぜんぜん波に乗れなかったので。性格は変わったのかなぁ…あまり変わらなかったと思うけど。
――サーフィンの一番の魅力は?
没頭できること。
波に乗る吉岡さん
――没頭とはどういう状態?
人としてニュートラルな状態。普通に生きていたら、いろいろなことを考える。仕事しているときにしろ、家族や友達といるときにしろ、常に神経を使っている。でも、サーフィンやっているときは、そんな複雑ではなくて、考えることが滅茶苦茶シンプル。
――サーフィンやってるときは、なにを考える?
単純にくる波に乗るだけ。そのくる波の中でも、いかにいい波に乗るか。それだけを真剣に考える。普段の生活みたいにややこしくないのがいい。
――なんで、そんなに波に乗りたいの?
気持ちいいから。二度と同じ波がこないから。
四季折々変化する丹後・八丁浜の波(Photo keigo)
――どんな気持ちよさ?
「うわぁ、気持ちいい、イエイ!イエーイ!」みたいな。でも、危ないのはわかってる。なめちゃダメだということも。
――波をなにかに例えるなら。
恋愛。
――なぜ?
シンプルであって、シンプルじゃない。振られることも多々ある。こっちが求めていても、全然受け入れてもらえないこともざら。こっちはこんな気分なのに、そっちはそんな気分かよ、といったすれ違いも多分にある。自力で沖に出なきゃだし、常に状況は変わるし、自分がいかに順応できるか、最後まで乗り切れるか。自然相手で、すべてが思うようにいかないところがいい。だから、ハマって、依存する。その奥深さがなんとも。
――波に”振られる”って、どういうこと?
例えば「明日は絶対いい波だよね」って期待して寝て、なのに次の日起きたら全然違うとき。うちは寝る寸前まで波の音や風の音が聞こえたりするから、余計にね。目が覚めて「全然違う!」と気づいたときのショックたるや(笑)。でも、それが波。
――サーフィンは人生に役立ってる?
サーフィンしない人生と、している人生なら、サーフィンをしている人生のほうが確実に充実している。なにを、どこまで、どんな影響が与えられているかまではわからないけど、いまサーフィンのおかげで、僕が幸せなのは確か。サーフィンをやっていなかったら幸せじゃない。そういう時期もあったから。
――それはいつ頃?
最初は20代前半。膝のじん帯を切って、怪我に悩まされた時期。トータル4年間くらい遠ざかっていた。その間は、ただフラフラしていて、全然充実してなかった。その後、友達の誘いで再開するも、27歳で大きな借金をして商売をはじめて、サーフィンなんかやってる場合じゃないと再び10年くらいブランクがあった。
――その時期はどんなふうに過ごしていた?
商売して、稼いで、普通のサラリーマンよりちょっといい暮らしができるようになって、いい車に乗ったり、いいブランド物を身に着けたりもしたけど、全然満たされなくて、で、ある日ふと「商売はじめてからこの10年、何してたんだろう」と考えたら、一瞬で冷めた。結局、高校の時からはじめて、最高に好きだったサーフィンを捨ててでも商売に没頭していたけど、その時に没頭していた理由って楽しいから没頭していたわけではなく、ただ単に借金いっぱいして怖かったから。怖さを紛らわすために没頭しているだけだと気づいた。
――サーフィン復活のきっかけは?
その頃、店も拡大して何店舗かやっていたのだけど、スタッフと意見が合わなくなったり、私生活でおふくろが亡くなったりもして、改めて商売とはなにか、経営者の成功とはなにかを考えた。経営者だったら、売上いっぱいつくって、人をいっぱい雇ってというのが、それまでは成功と思っていたけど、その時に自分のスタイルではないと悟って、何店舗かやっていた店も閉めた。それで気持ちに余裕ができて、10年ぶりにサーフィンを再開した。波に乗れた瞬間、「これだった」とはっとしたのを今でも覚えている。「やっぱり、オレはこれだな」と。
お店の前の八丁浜(Photo keigo)
――”これ”とは?
経営者にとっての成功は、売上をつくったり、お金をつくったりすることじゃなく、自分のライフスタイルを、自分の思うようにコントロールして、ハッピーに生きること。それが唯一の成功というか‥‥‥自由に好きなことができて、自分の好きなように生きられることが経営者の成功であって、自分がハッピーになることに重点をおけることが幸せなんだなと。経営者って多かれ少なかれ、皆、寂しいんだと思う。借金して返済したくても、誰も経営のやり方なんて教えてくれない。うまくいかない時は、周りが皆、敵に見える。それで自分で本を買いあさって、どうするのが正しいやり方なのかと、いろんなことを調べて、それでいつしか、売上もどんどん増えたけど、それが幸せだったかというと、よくよく考えるとそうじゃなかった。じゃあ幸せってなんだろうなぁと。
――結果、いま感じる幸せは?
変なこだわりは必要なくて……。シンプルにサーフィンができればいいし、くるお客さんにとって、自分が携わることで、道具選びの満足度が上がって、楽しいな、ハッピーだなと思ってもらえたらいい。
====後半に続く=====
SHOP INFO
(昔の機屋をリノベーションした趣のあるお店)
1983年にOPENした八丁浜唯一のサーフショップ。2020年6月に八丁浜のビーチフロントへ移転OPEN。サーフボード、ウエットスーツ、アパレルなどの販売ほか、サーフボード・SUP・ウエットスーツのレンタルや、各種スクールやサーフボードの試乗サービスも実施。今季より、プロサーファー・斎藤智也によるステップアッププライベートスクールをスタート。ていねいなヒアリングやマンツーマンによる指導でスピーディーに問題点改善につながると好評を得ている。ライディングの動画撮影を行い、効率的にサーフィンのレベルアップにつながる。新店舗には、ボードロッカーとシャワールームが完備され、ボードロッカーは1スペース月額5000円で最大3本まで預かり可能。契約者は、駐車場・鍵付きのロッカー・シャワールーム(ドライヤー有)が使い放題。
ライター
山葵夕子 与謝野町在住
足の向くまま、気の向くままに。感じることは書くけど、感じないことは書かない、ものぐさな物書きです。