ナイフを入れると 少し黄みを帯びたチーズが滑らかにとろけ出す
お乳の香りがぎゅっと濃くなって バターのような艶をまとって
牛からいただく恵みが体と心にとろけて ありがとうが溢れる
こんにちは、PARANOMADデザイナーの原田美帆です。2018年11月、丹後ジャージー牧場「ミルク工房そら」が新しいチーズの販売を開始しました。乳酸菌と酵母がお乳に魔法をかけるチーズ作りを覗きに行きましょう。
牧場の風景を綴った「牛のお乳をいただくこと 有限会社丹後ジャージー牧場ミルク工房そら」も本編と合わせてお読みください。
「今日は48回目の結婚記念日なの。私は今が一番幸せだわ」。
平林文子さんは弾けるように笑いながら、しぼりたてのお乳を温め始めました。人肌より少し高いくらいの温度になると、乳酸菌を加えます。温度計を見つめながら思い出すのは、小さな弟をおぶって見上げた満点の星空と熱々の牛乳の匂い。平林乳業株式会社の長女として育った文子さんは、幼い頃から牛たちと共に暮らしてきました。大学を卒業すると、早朝の牛乳配達に始まり経理と営業まで手伝うようになります。
丹後ジャージー牧場「ミルク工房そら」工房長 平林文子さん
お乳が乳酸菌によって発酵するのを待つ間、器具を洗浄したり型を用意したりひと時も休むことがありません。水が入った思いバケツもよいしょと持ち上げてテキパキ動きます。「昔は40キロもあるミルク缶を持ち上げていたの。少し傾けて、足に乗せて膝と足で蹴り上げてトラックに乗せるのよ」。協力牧場からお乳を集めて回る「集乳」と呼ばれる仕事まで、小さな体で必死に頑張っていた文子さん。「22歳の時に結婚して、しんどい仕事はみんなお父さんがやってくれるようになったの」。お見合いの日から数えて4回目の出会いに結婚式を挙げた2人は、やがて「丹後ジャージー牧場」を開きました。「両親が牛乳屋を始める時に、生まれた家も田畑も庭の木さえも手放して何も残らなかったから」。その土地についていた屋号「そら」を工房の名前に、乳製品作りから酪農を支える現在の道を歩み始めます。
次は「ジオ」という酵母と「レンネット」という酵素を加える。何十ページも試作記録が書き込まれたノートを見返して、慎重に計量。小さなボウルでダマにならないよう溶いてから寸胴へ。発酵と凝固作用が進む間も、働き続ける文子さん。「この酵母も知り合いの研究者の方が培養してくださって。出会う方みんなが助けてくれるの」。文子さんはまるでカラフルなスーパーボールのような人。どんどん弾んで、あっちへこっちへ。あまりに楽しそうだから、周りにいる人みんなが思わず自然と追いかけてしまうのです。
「70歳を迎えて引退しようと思っていたはずなのに」。ふとしたきっかけで参加したチーズの講習会で「サンフェリシアン」というフランスのチーズと出会い、そこから何十回と試作を重ねました。青カビが生えたり、熟成が思うように進まなかったり、夜中に気になって工房に走ったり。衛さんは「絶対にできるから頑張れ」と失敗したチーズも美味しいと食べ続けました。衛さんが世話をするジャージー牛に一番合うチーズを作って、48年間ずっと支えてくれた衛さんに恩返しがしたい。文子さんは諦めませんでした。
ヨーグルト状に固まったお乳を優しくかき混ぜて、小さな穴の空いた型に注ぐ。分離したホエイが流れ出るのを一昼夜待って、ひっくり返す。また一晩おいて、型から取り出して焼塩を振りかける。ここからは熟成庫に入れて、酵母の働きで熟成が進むのを待ちます。「美味しいチーズになりますように」。繰り返してきた祈り。
お乳の恵みは幸せなものだから、みんなに届けるのが私の使命だと語る文子さん。でも、一番幸せにしたいのは衛さん。少女のような横顔がそう教えてくれました。完成したチーズは「フロマージュ・デュ 久美浜 マモルとフミコ」。とろける秘密は、恋の魔法だったのです。
衞さんと文子さん
原田 美帆 与謝野町在住
インテリアコーディネーター・現代アートスタジオスタッフとして活躍し、2015年からは丹後・与謝野町に移住と共にデザインスタジオ「PARANOMAD(パラノマド)」を設立。織物は彫刻という独自の視点でカーテンを始めとしたテキスタイルを制作。また、マニアックな所まで的確にレポートするライターとしても活躍中。そんな彼女の美と食の記事は今後とても楽しみであります。PARANOMAD