「ダイニングバーへ食べに行ったね」
「キッチンカーが公園に来ていたよ」
「ボリュームたっぷりのレストランだな」
みんなが話しているのは『adriano(アドリアーノ)』
営業スタイルと場所を変えながら
地域に欠かせない存在になった飲食店です
「パスタが好きで、パスタ屋さんか洋食屋さんをやろうと思って」。河邊輝王さんがダイニング・バーadrianoをオープンしたのは2009年のこと。与謝野町岩滝地区に、イタリアンや惣菜が気軽に食べられるお店を構えました。「始めて間もない頃、フリーペーパーの取材があって週末のお客さまが一度に増えたんです。お店を改装しないと対応しきれないと1ヶ月閉めて工事をしたら、遠方のお客さまブームは去ってしまいました」。工事のタイミングを間違えました、と笑いながら話す輝王さん。
加悦谷高校を卒業後、美大で油絵を学びフリーターや印刷オペレーターをしてきました。転職先の面接で「接客が向いている」と言われ販売員、次に印刷業の営業を経験。26歳の時に京都市内で料理の修行を始めました。1年後、丹後に戻りレストランとリゾート施設の調理、そして居酒屋の店長を務めます。飲食に進んだきっかけは友人と「お店をやろうか」と盛り上がったから。誘ってくれた友人とお店を開くことはありませんでしたが、adrianoは輝王さんが積み上げてきた経験の先に、ようやく灯った灯りでした。
コロナ禍に見舞われるまで9年半、地域の人気店として営業を続けてきました。しかし、ようやく売上も伸びてきたタイミングでコロナによる営業規制と賃料の値上げが重なり閉店を余儀なくされます。どこか場所を変えて続けたいと思っていた時に、「阿蘇ベイエリアを一緒に盛り上げていかないか」と声が掛かりました。お店のあった場所から歩いて3分、芝生が広がる公園を地域の憩いの場に育てようと町の計画が動き出していたのです。輝王さんはレンタルキッチンを利用し、テイクアウト販売を始めました。同時に中古トラックを購入しキッチンカーのDIY改装をスタート。約半年をかけて調理可能な移動式レストランを完成させました。
さらに地域の飲食店を中心とした仲間が集まり『阿蘇シーサイドピクニック』が立ち上がります。春から秋にかけて1ヶ月に1回ひらかれる地域の飲食店を中心としたイベントで、芝生の上でピクニックをしたり、海を眺めてリラックスして過ごす場としてファンを増やしています。輝王さんは実行委員長として、仲間集めや運営を担ってきました。
ダイニング・バーのadrianoは、テイクアウトのadrianoに。そしてキッチンカーのadriano、阿蘇ピクのadrianoにスタイルを変えてきました。変わらないものは輝王さんの穏やかな笑顔です。一度でも会えば、その朗らかな雰囲気にリピーターになってしまいます。もちろん、地元食材をふんだんに使ったお料理のおいしさ、ボリュームたっぷりの満足感もみんなの心を掴んで離しません。
輝王さんはいろんな場所でキッチンカー出店を続けてきましたが「このまま、今のメニュー構成でキッチンカー営業を続けるのは厳しくなってくる」と感じていました。コロナも落ち着き店内飲食をされるお客さまも増え、やはり店舗を持ちたいと思うようになります。そこで、以前より誘いを受けていた道の駅の空きスペースに入る決断をしました。2023年4月、現在の青空レストランadriano誕生です。地域に根づいた活動が、時代が激しく移り変わる中でしっかり実を結んできたのです。
「これからの目標はテラス席やドッグランも作って、更にここを目的地にする人を増やしたいです。カフェも充実させて、ゆくゆくは大好きなイチヂクの加工場も持ちたい」。キッチンカー時代に結婚された知子さんと一緒に、これからの展望を聞かせてくれました。adrianoは、きっとこれからも変化を続け、あたたかい味と場所を私たちに提供してくれるでしょう。
原田 美帆 与謝野町在住
インテリアコーディネーター・現代アートスタジオスタッフとして活躍し、2015年からは丹後・与謝野町に移住と共にデザインスタジオ「PARANOMAD(パラノマド)」を設立。織物は彫刻という独自の視点でカーテンを始めとしたテキスタイルを制作。また、マニアックな所まで的確にレポートするライターとしても活躍中。そんな彼女の美と食の記事は今後とても楽しみであります。PARANOMAD