標高620m。
その蒸留所から見渡す森の先には景勝地天橋立で有名な宮津の海が見える。
そこは京都の北部丹後半島のほぼ中央部の山あいに位置し、森に囲まれた山の切れ間に半島の東側に位置する宮津湾を眼下に望む。
海と山の距離が近く、海から吹き上げる風と森の涼やかな空気が混じり合い季節を問わず霧の多い場所に舞輪源蒸留所はある。
令和6年4月にこの蒸留所は新たな門出を迎えた。
さかのぼること3年前にこの場所は蒸留所としての歴史をスタートすることとなる。
昭和の時代から旧弥栄町がスイスのマイリンゲン村と姉妹都市として交流を始め1970年代に森林公園スイス村として整備された。
スキー場やキャンプ場として地域の方々に親しまれてきたこの地であるが、数年前に積雪の減少等を理由にスキー場は閉鎖となり、近年は静かな里山に戻っていた。
しかしこの豊かな森の環境と四季の変化がはっきりとした気候に無限の可能性を感じる2人の若き青年がいる。
朴(パク)さんと、真山(シンザン)さん。
共にまだ23歳と若い二人は大学で知り合い共に学んだ仲だった。
丹後とほとんど縁の無い二人であったが、ジンの製造計画を通してこの地を知り、自らクラフトジンの製造に携わる道を選び丹後への移住を決意した。
蒸留所近くの集落に住み森に囲まれた生活を続ける中で、自分達が手掛けるジンへの想いを描いていく日々。
新しい発見と研究と試行錯誤。想い描くジンとは何か。どうしたら森の恵みの風味を最大限に引き出す事が出来るのか。
植物の組み合わせと配合など自問自答を繰り返し終わりのない問いに答えを求める日々。
なかなか下りない税務署の製造の許可。
いつになったらジンが造れるのだろうか?
そんな思いをいだきつつ過ぎ去る日々のなか令和5年11月についに製造の免許が下りた。令和6年の年明け、ようやくジンの製造に取り組むことが出来た。
二人が製造の許可を待つ間にも全国に広がるクラフトブーム。ビールにウイスキーと言ったアルコール飲料にまでその流れは影響を及ぼし、新たなテイストの飲み物として注目されているのがクラフトジンだ。京都発のクラフトジンが空前のヒットとなりクラフトジンの可能性を示すと共に、大手酒造メーカーが飲食店でのハイボールに代わる商品としの展開を画策したことで急速にクラフトジンは身近な飲み物として全国へ広がっている。
ジンの特徴としては、ウイスキーのように製造過程で長期の熟成が必要ない為に比較的短い期間で製造から販売まで行えること。風味付けのジュニパーベリー(和名は杜松)以外は使用する原材料に細かな規定が無い為、さまざまな材料を使うことが出来るために商品毎に個性を強く出すことが可能なだけでなく、地域の特産物を用いて地域特有の風味を引き出す事も可能である。こうした理由からここ数年でクラフトジンの製造と販売は全国に広がり、飛躍的に伸びている。
そんなクラフトジンをこの丹後で造ろうと決めた理由は、やはり丹後の豊かな自然の恵みと気候にある。
舞輪源蒸留所の付近はほぼ森である。しかも原生林と呼べるような人の手の及ばない森がすぐそばに広がり、多様な生物や植物の営みがすぐそこにあるのです。ジン造りに欠かせないジュニパーベリーでさえ自生した天然物がある。熊笹や黒文字等の植物も蒸留所の付近に自生しており、ジンに豊かな風味をもたらせてくれる。丹後の豊かな自然の恩恵は植物だけではない。丹後の地形は超硬水と超軟水の両方を生みだす国内でも稀な地域である。この特性の違う水を贅沢に使い分けることでジンはさまざまな表情を見せてくれる。
主力の商品となるMairingen Fresh Craft Gin(ORIGINAL)は、ジュニパーベリー等のスパイスは輸入物となるが、朝摘みのフレッシュな黒文字や摘み立ての熊笹を熱した石で焙煎したもの。自生するヤブニッケイや地元で採れる有機レモン等のこの土地の恵みを使いその豊かな風味を抽出している。
限定生産されるMairingen Fresh Craft Gin(PREMIUM)には蒸留を手掛ける職人が自らの手で一粒ずつ採取した2種類のジュニパーベリーと、この森の山野の花の蜜をいっぱい吸ったミツバチのハチミツの3種類の材料で仕込まれる。そんな贅沢な製造が実現できる場所に舞輪源蒸留所はある。
自然の恵みをジンの中に閉じ込めた舞輪源蒸留所のジンからは、ボタニカル(植物由来)の風味ではなく森そのものを感じることが出来る。人によって考えられた味の構成と言うよりは、むしろ自然そのものの香りを感じる。樹がそびえ花が咲き、木の実や果樹が実り、雪解けの清らかな川の流れや落葉樹の落ち葉が積もる土の香りが混在しているように感じる。
そう丹後の森の風景がその一本のジンの中に溶け込んでいるのである。造り手が目指した「京丹後の自然の恵みを最大限に活かしたクラフトジンをつくりたい」と言う想いの行きつくところは森を感じると言うことだったのかもしれない。
舞輪源蒸留所を運営する株式会社エーゲルの伊豆田千加社長は言う、「自然と共に生きる人を育て、森を守り、海を守ることが私たちの生きる世界と未来を守ること」このジンをグラスに注ぐ沸き立つ香りは、造り手の想いであり、森の香りであり、その土地の豊かさなのだと思う。
このジンの香りにふれながらあの場所を思い浮かべて欲しい。
文 田茂井 義信
丹後・網野町出身
丹後の食材と文化を取り入れたBARを生業とするバーテンダー。