煌々と熱した玉鋼に
槌を振り下ろす一瞬
閃光の中に鋼の道が現れる
未来へ伸びた
美しい一筋
キーン、カンカン、キーン、カンカン…心地よい金音が響く工房は、熱に満ちていました。ふいごで松の炭を燃やし、日本刀の原料 玉鋼を1300°程度まで熱します。炉の中からグツグツと湯が沸くような音が聞こえてきたら、溶ける寸前のサイン。コテに乗せた玉鋼を3人一体になって叩きます。大粒の汗が滴り、火花が散り、音が響く。一瞬の隙もなく、一点に向かう。身体を大きく使って大槌を振り下ろす姿は、ものづくりの職人に抱くイメージを超えて武芸者そのものです。
「次は水蒸気爆発が起こるので、大きな音がしますよ」。事前の注意に身構えていましたが、身体を突き抜ける想像以上の衝撃に驚きます。玉鋼が含む炭素量を均一にして不純物を取り除く「折り返し鍛錬」のクライマックス、水をかけて大槌で叩いた瞬間。数メートル離れていても、空気の振動と熱波を全身に受けました。タガネを当て割れ目を入れ、鋼を折り曲げると1工程の終わりです。この鍛錬を7回から12回程繰り返し、硬い鋼「皮鉄(かわがね)」と「心鉄(しんがね)」を作ります。日本刀の特徴である、外は固く内側は柔らかい性質を生むための大切な工程です。
鍛錬に注ぎ込まれる刀鍛冶たちの集中力は、見るものの時間感覚を狂わせるほどでした。約15分の鍛錬は倍に感じたでしょうか。工房を出て夏の太陽を浴びると、刀鍛冶たちに青年らしい表情が戻りました。
黒本知輝さん、山副公輔さん、宮城朋幸さんの3人は、2021年に丹後に移住し、株式会社日本玄承社を設立しました。屋号には、“日本”をアイデンティティとし、“玄”にプロフェッショナルであることと、鍛冶屋を意味する英単語blacksmithから黒を表す“玄”とも掛け合わせ、技術や精神性を継承する“承”の字を用いています。
日本刀が出てくる時代劇や漫画に憧れた少年たちは、東京にある刀匠の工房で出会いました。知輝さんは「物心ついた時には日本刀を作りたいと思っていました。25歳の時に師匠に弟子入りして7年修行し、師匠の工房を借りる形で半分独立して3年半。それから丹後に来ました」。高校入学のタイミングで師匠に手紙を送った公輔さんは「高校には行きなさい」と返事をもらい、卒業後に大阪から弟子入りします。朋幸さんも「大学4年の時に師匠の工房に月一で見学に行きました。卒業してからも通って、弟子入りできました」と言います。最初は皆、弟子入りを断られました。それは厳しさより、大変な職業に耐えられるかを見定める期間だったそうです。体力的にも資金的にも困難が多く、人気の刀匠になれる保証はありません。二人とも知輝さんと同じく修行期間と半独立の数年を過ごし、切磋琢磨しあい、泊まり込みの夜には3人で今後の刀鍛冶の理想を話し合ったそうです。
現代では日本刀は美術品として観賞する存在であり、海外の愛好家も含め一定の市場はありますが、興味を持つ人は減少しています。「日本刀には日本のものづくり精神が宿り、かつてステータスシンボルでした。その価値観が失われ文化が弱っていく姿をなんとかしたい。他の伝統工芸でも同じ想いを抱えた人がいると感じていました」。3人はそれぞれにゆっくりと言葉を紡ぎます。「技術を上げて後世に文化を残したい。日本文化の価値観を取り戻し、発信の窓口となる会社を作りたいと考えました」。
日本玄承社の目指す刀鍛冶をつづる
鋼の道に立つ青年たち 日本玄承社 後編 も合わせてお読みください。
原田 美帆 与謝野町在住
インテリアコーディネーター・現代アートスタジオスタッフとして活躍し、2015年からは丹後・与謝野町に移住と共にデザインスタジオ「PARANOMAD(パラノマド)」を設立。織物は彫刻という独自の視点でカーテンを始めとしたテキスタイルを制作。また、マニアックな所まで的確にレポートするライターとしても活躍中。そんな彼女の美と食の記事は今後とても楽しみであります。PARANOMAD