世界にはさまざまなブランドが溢れています。そのほとんどは、ファッションデザイナーの名前を冠したもの。では、その洋服を構成する生地は誰がデザインしているのでしょうか。色、質感、風合い、機能。実は生地って、デザインの塊なのです。
こんにちは、PARANOMADデザイナーの原田美帆です。
「テキスタイルデザイナー」という職業を知ったのはわずか一年前。創作工房糸あそび三代目 山本徹さんから、欧州ではファッションデザイナーと同等のポジションで業界から一目置かれる存在であると教えていただきました。生地設計から手がける機屋は、まさにデザイナーそのもの。テキスタイルデザイナーとして、着尺からカーシートまで多種多様な織物を生み出す「創作工房 糸あそび」の歩みを辿ります。
深田神社全景
山本家のルーツは与謝野町幾地地区にある「深田神社」を普請した宮大工。完成と同時に定住し、息子の都望蔵(ともぞう)が丹後ちりめんの製造を開始しました。織機の構造を理解し、修復や改良を加えるのに大工という職業は適任。各地で大工が機屋に転職したという話を耳にします。ちりめんの隆盛とともに西陣の賃機として生産量を上げ事業を拡大しましたが、暴落により福知山の工場を閉鎖。現在も稼働している与謝野町幾地地区の工房に広幅織機を設置し、請負製造に専念します。現代表の山本徹二が引き継いだ時は代行業のみでも忙しかったものの段々と織物業に陰りが見え始め、発注元に左右されない自社企画製品の準備を始めました。広幅レピア織機や意匠撚糸機の導入、数年後には第二工場を設立し整経機も設置。自社の特徴を「リボン織」に定め、技術開発に注力します。
シルクテープの経糸
リボン織は、現在の糸あそびを代表する織物。4ミリ幅のシルクテープを経糸、緯糸に使用した製品です。昔からテープ糸を使うことを「ペンを入れる」と呼び、意匠の一つとして部分的に使われてきました。しかし織り込まれたテープ糸は撚れたり潰れたりした状態。そこに着目し、幅のあるテープが撚れず、折れず、ひっくり返らずに仕上げる織り方を編み出します。その秘密は整経にあるのだそう。自社整経の技術を磨いた糸あそびは、2018年から町内外の整経依頼も引き受けるように。丹後の整経屋は生糸に特化したところが多く、近年増えてきた色物や異素材の企画に対応することが難しいと言う声を聞き「うちが手伝うことで仕事が取れるのなら、産地を盛り上げるためにも整経部門を成長させたい」と本格スタートさせました。
工夫が凝らされた整経場
「産地全体がどうやって生き残るか」。会話の合間に熱く語る徹さんですが、もともと家業に興味はなく機場に入ったこともありませんでした。ところが就職先は生地企画の商社。デザイナーズブランド全盛期に育ち、服飾業界に憧れての入社です。「家業を継ぐ気はなくて、仕事を回せたらいいな程度」で始まった仕事は、とあるブランドの生地設計。春夏秋冬シーズン毎のコレクションを4デザイナー分、毎日のように加工屋に通って開発に没頭しました。勤務先は東京・名古屋。「尾州のウールに始まる幅広い新素材に特殊な整理加工、紡績、撚糸に染め。ありとあらゆることを現場から学べた、すごく良い経験だった」。
創作工房糸あそび三代目 山本徹さん
この頃から活躍しているファッションデザイナーはテキスタイルデザインが重要であることを心底理解し、加工場でも打ち合わせをして生地企画から取り組んでいました。今日のアパレル業界は不況から産地を回る機会が減り、生地の重要性を体感できずに安価なものを選ぶだけ、という悪循環に直面しています。現在では望んでも手に入らない経験を積んだ徹さん。「実家でも企画からできるじゃないか。自分の力でやっていけるなら帰ったほうが楽しいかもしれない」と思うようになった時期と、家業が自社企画へと舵をきったタイミングか重なり、帰郷を果たします。家業を継承した翌年から展示会にも参加し、企業からの特殊オーダー開発や百貨店での直売へと事業を展開。現在の小ロットオーダー生産の体制が形作られていきました。
幾重にも技術が織り込まれた製品
「デザインも縫製も大事。でも布を作るのが一番工程も多く、時間がかかる」。
美しい生地から美しい洋服が作られる。この当たり前のことを、私たちはあまりに忘れてしまっているのではないでしょうか。
原田 美帆
与謝野町在住
インテリアコーディネーター・現代アートスタジオスタッフとして活躍し、2015年からは丹後・与謝野町に移住と共にデザインスタジオ「PARANOMAD(パラノマド)」を設立。織物は彫刻という独自の視点でカーテンを始めとしたテキスタイルを制作。また、マニアックな所まで的確にレポートするライターとしても活躍中。そんな彼女の美と食の記事は今後とても楽しみであります。
PARANOMAD