織物の原料「糸」を山からいただく「藤布」。
手仕事の一つ一つが愛おしく見えてくるのは、私たちの肌を包んでいた頃の記憶が身体のどこかに生きているからでしょうか。
こんにちは、PARANOMADデザイナーの原田美帆です。これまで2回にわたり、藤布の物語と制作工程を綴っています。どうぞ本編と合わせてお読みください。
遊絲舎代表 小石原将夫さんが運転するバンに乗り込み向かった先は、のどかな小川。水神を祀る貴船神社を背に、土手を降りて浅い流れに入ります。手に持っているのは「灰汁炊き」の終わった藤の蔓「アラソ」。木灰のアルカリ作用で柔らかく溶け出した不純物や樹脂を扱き洗う「フジコキ」には豊かな水流が欠かせません。
左手にアラソの根元を巻きつけるように持ち、右手には竹と竹の皮で出来た手製の道具「コウバシ」を親指と人差し指、もしくは中指で挟むように持つ。川にアラソを沈めては引き上げ、根元から先端へ向かってコウバシで扱く。
コウバシで挟みこむ感覚が弱いと不純物がなかなか無くならず、強すぎると途中で引っかかってスムーズに扱けません。それどころか途中で繊維が切れて流れてしまいます。「一部はどうしても切れてしまうから、しょうがない。流れても大丈夫ですよ」。事前に五代目 小石原充保さんから教えていただいていたものの、数時間の灰汁炊き、その前の炊き返し、そのまた前に切り出して外皮を向いて…ここまでにかかった手間が一瞬で下流に流されていく。あぁと声が漏れてしまいます。
早い作業の連続で見る間に不純物が取り除かれていく
1メートル長のアラソを均一に扱くために、少しずつ手元に巻きつけ扱く位置を変えて。巻きつける時は絡まらないように交差させ、先端まで扱けたら水中で交差させた部分をするすると解く。無駄のない美しい動作です。最後は握り込めていた部分を持ち替えて、根元を下流に向けて扱く。
「よく炊けているから、きれいに扱けましたよ」。灰汁炊きの具合によって、扱きの仕上がりが全く違ってくるそうです。将夫さんの手元には、水面に浮かび上がる白い繊維。ようやく、糸の元に出会いました。流れに合わせてたゆたう様は、解き放たれるのを待っていたかのようにさえ感じられます。
左はフジコキ前、右が姿を現した繊維
この日、充保さんの姿はありませんでした。「キャラバン」。かつてシルクロードを隊商が旅したように、全国の百貨店催事への連続出展に名付けられた出張へ出ていました。「家業に入った頃は年2、3回の出展だったけれど、今は年間の半分以上。人の数に触れるとご縁がつながっていくというのが分かった」。大学卒業後に結城紬での修行を経て家業に入った充保さん。父将夫さんと親子二代で築き上げた販売スタイルは、日本各地へ顧客を広げています。「地方の豊かさや方言に触れること。出展者仲間にも会えるし、日本中の伝統工芸をたくさん見られたのもよかった。お客さまからのありがとうも嬉しい」。販売に立ち続ける強さの源は感謝の気持ちと教えてくれました。でもその前に出てきた言葉は「家と社員のため」。家業への想いを原動力に、今日も現場に立っています。
皆さまの住む街にキャラバンが立ち寄ったなら、きっと訪ねてみてください。
そこには「丹後」があります。美しい藤布と、辛抱強く優しい丹後人そのものの小石原将夫さん、充保さん。「日本人は木や土と共に生きてきた。心が穏やかになる、触れたいものを大切にする気持ち。それが文化力と信じています」。
遊絲舎が織りなす帯に、どうぞ出会ってください。
藤布を伝承するために、藤の栽培にも取り組まれています
Part4では藤の繊維から糸を作る「藤績み」の仕事へ。
キャラバンからの帰丹を一緒にお待ちくださいませ。
原田 美帆
与謝野町在住
インテリアコーディネーター・現代アートスタジオスタッフとして活躍し、2015年からは丹後・与謝野町に移住と共にデザインスタジオ「PARANOMAD(パラノマド)」を設立。織物は彫刻という独自の視点でカーテンを始めとしたテキスタイルを制作。また、マニアックな所まで的確にレポートするライターとしても活躍中。そんな彼女の美と食の記事は今後とても楽しみであります。
PARANOMAD