針が差し込まれて ぷつりと弾ける生地
経糸と緯糸と縫糸が奏でる かすかな絹鳴り
波のさざめきのように響く 和裁の技を聞いた
こんにちは、PARANOMADデザイナーの原田美帆です。針の音が時を刻み、反物が着物へと姿を変える。ひと針に潜む技術が絹地と一つになっていくさまは、美しい映画を見ているようでした。
真白な絹地に真珠のような光が並んでいます。よくよく見ると、絹糸のごく小さな縫い目。糸がくるりと輪を描き、球のかたちになっていました。全て手縫いによって着物を縫い上げる「和裁」の技術の一つ、「ぐし縫い」です。けれど、一級和裁士 谷奈津美さんの手元にあるのはノースリーブのドレス。裾のラインに華やかさを添える意匠として、和裁の技が施されています。
「このドレスは、大きい夢がかなったと思っています」。針を通すドレスは丹後ちりめんの絹織物。「丹後には素晴らしい織物がある。この生地たちを世界に広めるお手伝いができたらと思っているんです」。
母親が着物販売と着付け教室を営み、小さな頃から丹後ちりめんに囲まれて育った奈津美さん。高校卒業後に和裁養成所へ進んだのは自然な流れでした。5年をかけて基礎から学び、国家資格である一級和裁技能士を取得します。在学中に全国和裁技能コンクールに出場し、内閣総理大臣賞を受賞。全国一と認められた奈津美さんの針運びはまっすぐに伸びて、一見するとミシンのように正確な縫い目です。その直線には心地よいゆらぎが満ちていました。
縫製台に向かう一級和裁士 谷奈津美さん
和裁でも洋裁でも、最初に行う「地のし」という大切な作業があります。生地にスチームアイロンを当て、あらかじめ生地を縮ませておく。こうすることで、後々の縮みを防ぎます。生地の素材、織り方によって縮率はさまざまですが、誰もその正確な数値や特性を伝えてくれません。縫製士が1枚ずつ慎重に行う必要があります。縫った方向の逆に「糸しごき」をすると、生地と糸の張力が馴染んで優しい縫い上がりになる。縫い目に2ミリほど生地を被せておく「キセ」は縫い目を見えないように仕立てる技。そこに生まれるわずかな伸縮性は縫い目が直接引っ張られることを防ぎ、生地と糸にかかる負荷を減らします。生地の中に隠れた縫い目を左手でなぞり、キセの幅を指の腹で調節して右手のコテで固定する。生地に触った感覚を無意識のうちに反映させながら仕立てているから、ゆらぎが生まれていたのです。
糸しごき
キセを寄せる左手とコテ
和裁士として独立して2年がすぎた頃、民谷螺鈿の民谷共路さんとの出会いがありました。「ジャケットを縫ってほしい」。螺鈿や皮を織り込んだ独創的な織物で海外メゾンとのコラボレーションにも取り組む織元からの一言が、奈津美さんを突き動かします。和裁は洋裁とは違う。私にはジャケットは縫えないと答えながら、すぐ身近に世界が惚れ込む織物があったことに驚き、そこに縫製の技が必要とされていることを知りました。「丹後の生地を世界に届ける裁縫士になる」。心に決めて銀座のテーラーで腕を磨くこと2年。パリで活躍する日本人テーラーへも修行に飛びますが、残念ながら彼の元で働くことは叶いませんでした。そうして丹後へ戻って3年。和裁の技術を織り交ぜながら洋裁や小物もつくる「谷奈津美の仕立て」を確立したのです。
和裁と洋裁の道具
現在はデザイナーから直接オーダーもありウェイティングリストが出来るほど仕事の依頼が絶えませんが、和裁のみでは厳しいという時期もあったと言います。「おばあちゃん世代まではみんな和裁ができたので、特別な技能と評価されることが少なく工賃も低かったんですよ」。丹後の機屋が世界に向かって挑戦していたとき、奈津美さんは「あと何年かしたら和裁が特別な技になる。今だから出来ることを増やそう」とじっくり技術を磨いてきました。そして、いま国内外の注目を集める機屋の製品の多くが奈津美さんの手から生まれています。
「私にしかできないことをしようと思ってやってきました。だから、忙しくなっても人に頼めないんです」。奈津美さんの針が進むとき、反物はかたちを得て、糸のたどる長い旅が終わりを迎えます。ひと針に注ぎ込まれた思いが、絹の上で光を放っていました。
原田 美帆 与謝野町在住
インテリアコーディネーター・現代アートスタジオスタッフとして活躍し、2015年からは丹後・与謝野町に移住と共にデザインスタジオ「PARANOMAD(パラノマド)」を設立。織物は彫刻という独自の視点でカーテンを始めとしたテキスタイルを制作。また、マニアックな所まで的確にレポートするライターとしても活躍中。そんな彼女の美と食の記事は今後とても楽しみであります。
PARANOMAD