100年 機音を響かせる織元は
100年 たくさんの人に絹織物を届けてきました
次の100年 どんな絹織物を届けてくれるのでしょうか
こんにちは、PARANOMADデザイナーの原田美帆です。与謝野町岩屋地区にある「株式会社ワタマサ」は、町内でも有数の生産規模を誇る機屋。「帯」「着物」「小物(半襟や風呂敷)」など特定の製品を生産する機屋が多い丹後ですが、ワタマサでは白生地の振袖・着物・襦袢・帯揚・半衿から先染めの帯・着物にネクタイまで多彩な製品を手がけています。
「うちの強みは一貫生産と品種の多さです」。30代の若さで4代目を継承した渡邉正輝さんが自社の歩みを教えてくれました。ワタマサは、糸を仕入れてから織り上げるまでのほとんどの工程を自社で完結する「一貫生産」の機屋。ひと昔前までは丹後でも多くの機屋が一貫生産をしていましたが、効率の良い分業制に移り変わり今では数少ないスタイルです。「織物が好景気に湧いた昭和50年代に先代が設備投資をしてきたおかげです。ものづくりに向き合ってきたから、設備もノウハウもあります」。
株式会社ワタマサ 4代目 渡邉正輝さん
大学を卒業した正輝さんは、丹後に戻る前に室町の問屋で修行を積みます。そこで改めて織物業の厳しさを認識。「糸の仕入れから紋紙まで費用もたくさんかかって、朝から晩まで織機の前に立って…こんなに利益が少ないのか」。これからも織り続けていくために、自社製品の開発に乗り出しました。きれいな色に染められた絹糸から織り上げる先染めの着物や帯に自社のネームを入れて、問屋を介さず小売店や全国規模の呉服屋へと販路を拡大。展示商談会も京都市内で単独開催しています。これは問屋への卸業をベースとする丹後の機屋にとって画期的な挑戦でした。今では取引先も約300社に広がり、営業に出なくなっても名前を知ってもらえるようになったと言います。通常の織元は多くて10社ほどの取引先なので、いかに大きな飛躍を成し遂げたかお分かりいただけるでしょう。
準備工程の一つ、整経の瞬間 美しい色の絹糸
「自社製品に注目されがちですが、本業である下請をきちんと取り回してこそだと思っています」。自ら道を切り開きながら、きちんと足元を見つめる正輝さん。なぜなら、機場に立つのは多くがお母さん世代。ちりめん産業は、地域の雇用を支える重要な側面を持っているのです。「子どもが小さくても、融通を利かせて長く働ける環境にしたい。きちんと働く人に答えられる職場でありたいと思っています」。真面目でまっすぐな織元、ワタマサ。
古くからの道具を大切に使い続けています
100年の間紡いできた糸は次に何を織りなすのでしょうか。「絹のもつ機能性は、現代の化繊に劣らないことが分かってきました。直接肌に触れる商品を、着物にこだわらずに開発していきたいと考えています」。絹の優れた性質を知り抜いた織元が、その技術を開こうとしています。絹はとっても気持ちがいい。着物を着る機会が減って、多くの人がそのことを知りません。丹後の築いたノウハウは、いまこそ世の中に求められています。
原田 美帆 与謝野町在住
インテリアコーディネーター・現代アートスタジオスタッフとして活躍し、2015年からは丹後・与謝野町に移住と共にデザインスタジオ「PARANOMAD(パラノマド)」を設立。織物は彫刻という独自の視点でカーテンを始めとしたテキスタイルを制作。また、マニアックな所まで的確にレポートするライターとしても活躍中。そんな彼女の美と食の記事は今後とても楽しみであります。
PARANOMAD