カシャン トン
カシャン トン
機音にただよう歌が聞こえてくる
カシャン トン
かつて町中のお母さんが奏でていた音
カシャン トン
私の機音も重なってゆく
カシャン トン
機場があって 家庭があって 私の暮らしは続いていく
こんにちは、PARANOMADテキスタイルデザイナーの原田美帆です。産地に暮らす織り手を紹介するシリーズ、part1、part2、part3も合わせてご一読ください。
最後にご紹介するのは唯一の男性職人。彼もまた、不思議な縁で職人になりました。大阪の服飾専門学校でファッションを学んだ後に、与謝野町にある紳士服の縫製工場に就職します。当時は丹後が織物産地であることを知らなかったそう。数年が経ち転職の機会が訪れたときには、これからも丹後で暮らしたいと思うようになっていました。友人が増え、地域のコミュニティと繋がりができていたのです。ある日、FacebookのタイムラインにKUSKAの情報が現れ「町内にこんな会社があったのか」と興味を持ったと言います。すぐさま見学に訪ね、そのまま就職することに。
入社5年が経ち、今では織機調整まで行うようになりました。女性の多い職場で力仕事が必要な時はもちろん、百貨店催事での織機の組み立てや実演などマルチに活躍しています。
その原動力はどこからやってくるのか尋ねてみました。「僕の根底にあるファッションへの想いが大きいですね。アパレルのことを考えていくと布や糸に突き当たる。だから、会社の仕事をしながら自分の欲求も満たしているんじゃないでしょうか」。持ち前の行動力と探究心は、工房の外にも広がりを見せています。畑を借りて藍を育て、借家に自分用の手機も設置しました。糸が服になるところまで自分の手でやりたいのだと、ものづくりの道を突き進んでいます。
また、4年前に京丹後市で開かれたテキスタイルサミットへの参加をきっかけに、丹後を飛び出して日本各地の織物産地を訪問するようになりました。「自分が携わる産業のことをもっと知りたいから」だそうです。他産地も回る中で、KUSKA工房の姿も客観的に捉えています。「うちは現代的な機場づくりが進んでいると思います。織り手のペースと生活に合わせたものづくりが出来て、納期にも追われません」。都市部から地方への移住に注目が集まる今日、彼の充実した暮らしは多くの人にヒントをもたらすでしょう。カシャン トン。
KUSKAファクトリーショップに並ぶネクタイ
ものづくりが営まれる産地には、ものづくりに関わる人々の暮らしがあり、人生があります。あなたが触れているその布にも、産地の暮らしの中から生まれました。カシャン トン。カシャン トン。この音は、誰に届く織物になるのでしょう。
原田 美帆 与謝野町在住
インテリアコーディネーター・現代アートスタジオスタッフとして活躍し、2015年からは丹後・与謝野町に移住と共にデザインスタジオ「PARANOMAD(パラノマド)」を設立。織物は彫刻という独自の視点でカーテンを始めとしたテキスタイルを制作。また、マニアックな所まで的確にレポートするライターとしても活躍中。そんな彼女の美と食の記事は今後とても楽しみであります。PARANOMAD